私たちの危機的状況
一方、丸中醤油では、世間の価値観の変貌や流通の変化に圧倒されながらも、じっくりと手間をかけて醤油を育てる伝統製法を変えることはありませんでした。なぜなら、醤油を醸造するということは、常に麹菌や酵母と呼ばれる微生物たちと対峙することであり、長い時間待つしかないのだという、これまで受け継がれた醤油醸造に対する信条があったからでした。
しかし、1990年代には丸中醤油は存続の危機に直面します。効率を求めず、生産量に限りのある樽仕込み醤油ですから、安く大量に市場に出回る大手の醤油に競合できる術もなく、経営状態は悪化し、蔵の中には仕込のできない空の樽が増えていきました。さらに1995年の阪神淡路大震災の影響で、江戸時代に建てられた丸中の醸造蔵は傾き、崩壊が危ぶまれる状態に追い込まれたのでした。蔵の補強工事を施そうにも、通常の施工では、江戸時代から蔵に棲みつく微生物を守ることは出来ないことも判明しました。丸中醤油の宝である蔵の微生物を守れないのであれば、金輪際、伝統的な醤油を醸造することは出来なくなります。苦悩の中で、丸中醤油は廃業の危機へと追い込まれていきました。
工場での経験が決意を固めさせる
その頃、代々世襲によって丸中醤油の八代目を受け継いだ私、中居真和は、首都圏の大手醤油メーカーで働いていました。暗い醤油蔵の中で行われる地道な作業を、幼い頃から毎日見て育った私にとって、近代的な醤油製造工場で目の当たりにしたステンレスの醸造容器やオートメーション化された製造工程には、大変な衝撃を受けました。「こんなにきれいな工場で、短期間に大量の醤油が楽に作れるなんて、すごい、素晴らしい!」と憧れ、優れた機械や装置を持っている会社を大変羨ましく思いました。
ですが、毎日その製造工程を見ているうちに、次第に、なんとも言い表し難い違和感と疑問を覚えるようになりました。工場での醤油醸造では、原料から瓶詰にされるまで、人の手による作業があまり入らないのです。これが醤油醸造だろうか? そんな違和感に、毎日苛まれるようになりました。
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そんな折、実家の醤油を取り寄せて使っていた私を見て、その会社の方々が丸中醤油を試す機会がありました。すると一様に、私が尊敬する醤油工場のプロの諸先輩方が、「丸中醤油の味はすごいなぁ、本当に美味しい醤油だ、こんな味はうちでは作れないなぁ」と言ったのです。自然に発された決定的な言葉を聞いた瞬間、私の心の中で何かが一気に崩れてしまいました。「一体、私は何をして来たのだろう。私は、やるべきことをすっかり忘れてしまうところだった」。
こうして1999年、私は一刻も早く蔵の中に入り、今まで向き合ってこなかった分も含め、より一層代々伝えられてきた味ときちんと向き合おう、という思いにつき動かされて故郷の滋賀へ戻りました。
後世に蔵を残したい
2008年には、大地震で傾いてしまった醸造蔵の耐震補強工事を行いました。蔵の環境を損なわず、建物の強度を補強するには特殊な技術が必要だったため、京都の宮大工チームに依頼しました。その費用は、新しい醸造蔵を2つ建てられるほど必要でしたが、蔵の環境なしには丸中醤油を醸すことはできません。200年かけて蔵の中で育まれてきた微生物は、他の何物にも代えられない宝なのです。そしてようやく、醸造蔵のすべての杉樽の中に、醤油造りのもろみが仕込まれていきました。
未来に向けた私たちの想い
その後も、決して平坦な道ではありませんでしたが、徐々に丸中醤油を評価してくださるお客様が増え始め、近年では、テレビや雑誌などでも取り上げられる機会にも恵まれて、ご愛顧くださるお客様が日本全国に広がったことを大変嬉しく思っています。
実は、丸中醤油のホームページやパンフレットの写真の背景には、かつて廃業寸前とまで言われた頃の、空の杉樽が映っています。それには、私共が、再起を決意した時の気持ちを忘れないように、との思いが込められています。これからも変わらぬ製法で醤油を造り続け、日本国内にとどまらず世界に向けて、日本の食文化の担い手としてお客様に丸中醤油をお届けできるよう、一同精進してゆく所存です。今後とも、丸中醤油をどうぞよろしくお願いいたします。
丸中醤油八代目社長 中居 真和
当主は昔も今も、毎朝、蔵の中の神棚にこの茶碗で水を捧げます。
その後、水質を確認しながらそれを飲み、また一日よい醤油造りができるようにと願いを込めます。